墨染で近藤勇、狙撃される
墨染駅からまっすぐ西、竹田街道に出ようかというあたり、
近藤勇遭難の地、という碑があります。
老舗料亭で伏見の名水「清和の井」のある清和荘の前です。
素敵な料亭です!
慶応3年(1967年)12月8日、二条城での永井尚志との軍議を終え、
伏見奉行所への帰り道、このあたりで狙撃されたそうです。
犯人は10月18日に盟主・伊東甲子太郎を暗殺され恨み骨髄の御陵衛士の残党。
致命傷ではないものの左肩に命中、そのまま戦線離脱。
その後、土方歳三が新選組の指揮をとることとなります。
寺町のあたりで偶然新選組が隊列を組んで移動しているのを見かけた阿部十郎ら数人が
アジト化にしていた薩摩藩伏見屋敷に戻り鉄砲2挺を借り受け、
さらにそこに居合わせた富山弥兵衛、篠原泰之進らと近藤を持ち構えるべく急いで移動。
竹田街道沿いの民家に潜みじっと待ち構えていたそうです。
御陵衛士の残党は薩摩藩伏見屋敷
(現在の松山酒造あたり)から狙撃場所は徒歩で約20分ほど。
使用銃は火縄ではなく、ミニエ銃といわれています。
先込め・ライフリングありのパーカッションロック式で
南北戦争終了時のアメリカから日本へ流れ込み、薩摩藩が装備率を高めていました。
暗がりの中の狙撃、かなり近くであったのかと思われます。
2022-05-22 by
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